7月15日は記念日(らしい)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日。
というフレーズが一世を風靡したのが10数年前。
それからさらに5年ほど前、
その当時は、伝統的なかくれんぼやザリガニつり、ままごとなどが、まだまだ子供の遊びとして幅を利かせているそんなアナログ一辺倒な時代。
奴は突然やってきた。
そのハイテックな響き、
ピコピコという電子音、
テレビにつなげるだけで見たこともないような世界へいざなってくれる新しい道具。
ファミリーコンピューターとの出会いである。
その当時は今ほどビデオなども普及してなく、ど~してもとっておきたい番組はアナログカセットテープで音声のみ記録してた、そんな時代であった。いや、少なくとも家の近所はそういう情勢だった。
あの衝撃は、おそらく力道山を街頭テレビで見ていた頃の少年たちと同じ心境だったと勝手に思っている。
なにせ、ファミリーのコンピューターなのである。
マイ・コンピュータ=マイコンといい始めたのもこの少し前頃である。(※1)
確かに、ゲームウォッチや、電子野球盤、奴が出てくる前にその兆候がすでにあったのは確かである。
しかしながら、ド田舎なうえ貧乏な連中にそんなものを持ってる奴もなく、たとえ持っていたとしてもドラえもんのスネオ的扱いしかして貰えないのが常であった。
当然、ファミコンなど言語道断であり、当方の家もあるわけがない、あるはずがない代物なのである。
しかしながら、私もその魅力にご多分に漏れずとり付かれ、放課後、4キロある通学路を瀬古(※2)さながらに猛スピードで走りぬけ、自宅から3キロ先にある同級生の家までチャリンコをぶっ飛ばして申し訳なさそうにさせてもらっていたのである。(※3)
そのときのお気に入りは、タイトルは覚えてないが、なんだかハンマーを持った二頭身のおじさんが階段をバンバン壊していくようなゲームだった。(その後、そのおじさんにマリオという名前がついた。)
一時間ほどワーワーいいながら熱中していると、いつものことだが、その家のお母さんからふすま隔てた向こう側からいやみなゲキを飛ばし始める。
その忠告も聞かずワーワー続けていると、突然の停電となり、「もはやこれまで」とばかり、また3キロぶっ飛ばして家路に着くのである。
今考えると、あの停電は京都のブブズケと同じ意であったと、今この瞬間に気づく夏の夕暮れ。
つづく
※1 マイコン自体死語ですが。コンピュータを所有すること、もしくはアマチュアが扱うそれ相当のものの意。現在ではパソコン。もしくは単にコンピュータ。
※2 瀬古利彦:元マラソンのオリンピック選手で陸上指導者だが、高橋尚子同様なんとなーくツイテナイ人であった。
※3 つまり学校から1キロのところにある友人宅。そんなのわかるって?いやいや、注釈が入れたくて入れたのです。

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