ノイズ

ノイズ:騒音; 物音; 雑音; 【コンピュータ】ノイズ, 雑音 ((必要な信号とは無関係と考えられる信号)); 余計[無意味]な情報;
この世に生まれ出たとき、すべての物は雑音なのだろうか?
それとも五感に響く有益なものなのだろうか?
いずれにせよ知恵がつき経験が伴い年をとっていくと次第に雑音は大きくなり本当に必要な物が見えにくくなってくる。
世論、常識、異常、噂、誘い、嘘、争い、快楽、封建、仕来り。
大人の世界が見えにくいといわれるのは大量の雑音のせいかもしれない。
モラトリアム下で聞こえなかった雑音が、怒濤のように押し寄せてくる。
音響の世界で言うフィルタリング、ノイズリダクション。雑音を取り除いたり様々な脚色を付ける。
人は知らずうちにフィルタリングを行っている。
無意識下で自分の知らない世界に線を引き、誰かに刷り込まれた価値観に翻弄される。
他人同士が本当の意味で理解し得ない理由はフィルタリングされ得られた感覚を共有でき
ないから。
同じ経験だとしてもおのおのの感じ方は様々。フィルターも。
フィルターはその経験の中で形成され、衝撃で粉々になり新しいフィルターを形成する。
今まで聞こえなかった音を雑音から拾い出し、新しい価値観を生み出す。
ローパス、ハイパスフィルター的な感覚。
固定概念というフィルター。
生まれ持ったシチュエーションで自然に身に付いてしまう感覚。
ある意味偏見や、差別を生む根元。
大声で叫んでもその人にとっては雑音にすぎない。
己のフィルターを壊さない限り雑音の中に真の意味を見いだせない悲しい感覚。
心がゆがんだとき、すべてを雑音に感じ外部の何もかもをカットしてしまうフィルター。
しかしながら己の中にも雑音は響く。自分の作り出したノイズ。
激しい雑音に翻弄される時。
自問自答というループな雑音に鼓膜が引き裂かれる瞬間。
自分はクリヤーに聞いているのか?
自分はクリヤーに聞けているのか?
自分はクリヤーにふるまえているか?
かつて自分も混乱した自分の中の雑音たち。
最近翻弄されている人が多いと聞く。
本当の幸せとは雑音の中に己に見合った音を探すこと。
しかしどこからがノイズでどこからが信じるべきものかを判別するのは難しい。
偏見やイメージの中ではなく素直に雑音に耳を澄ませは自然にノイズは消え本当の何かを探し当てることができるのかもしれない。
かも?
言えばこのサイト自体も一つのノイズ…。
その答えはご自身のフィルタリングの中で。

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