戦後60年。
終戦記念日が近い。
何をもって正義、悪とするか。
争いの中での正義とは、自身の立ち振る舞いを正当化し、戦うための大義名分でしかない。
たとえ正義を掲げ戦ったとしても、逆の視点から見ればその正義は時に悪としか認知されないというこも。
日常の小さな争いの中でもこの方程式は成り立つはず。
争うとは自身の正当性を双方に訴える課程において生じる精神的、物理的な衝突を言うのだから。
何をもって正義、悪とするか。
動物は本来、自己保存の観点から争いをできるだけ避けるという本能がある。
ただし生命の危険を感じたときその生存をかけて戦う。
核分裂を使った大きなインパクトは、殺戮を繰り返し、誰の得にもならない争いを止め、犠牲者を減少できた唯一の必要悪であったと信じたい。
原子力技術の恩恵は、この電子化された文明であり革新的な便利さを得るためには必要不可欠な要素であることは語る必要もない。
高度に発展したネットワーク、インターネットおよびコンピューター、GPS、携帯電話など生活に根付いた身近な技術も元を正せば軍事技術の賜物であり、日常そのことを気に留めている人はごく少数である。
戦争を肯定するつもりではないが、その過程の中で多くの物が生み出され、そして反省し過ちを反芻すると言う知恵を得たと思いたい。
何をもって正義、悪とするか。
正義のヒーローが悪いやつらをヤッツケル。
でも悪いやつらとされてる人たちはそうしなければ、生きていけない事情があるのかも。
平和な日々を過ごす人間が外野から声高に戦争反対を叫んだとしても、当事者たちそれぞれの事情があり、不満があり、苦境に立たされている人々が戦争、テロと言う形の行動に出たとしても本質を理解しなければ非難する資格はないかもしれない。
苦境と言う感覚は人聞きに知ったとしてもそれは幻想であり、現実の経験には決してならないのである。
何をもって正義、悪とするか。
明日、空からミサイルが飛んできて、身近な人たちが…。
君ならどうする?
戦争自体が必要悪かどうかと言う議論もあるが、争うことで文化を創ってきた人間にとってどういう解釈をすればいいのか。
それよりも過去の歴史を正確に理解し、対立するそれぞれが主張する正義を理解し分かり合える環境、仕組みを作り出す。これが次の世代もしくは戦争を知らない私達の世代が本当に考えなければならないことなのかもしれない。
以上。
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