ルー、ルルルル、ルール

「なぜ、人を殺してはいけないのですか?」
10年近く前に論議を呼んだ中学生の言葉。
ん~、そういう法律があるから。
ん~、道徳的に許されいないから。
ん~、命は尊いものだから。
ん~、非常に哲学的な深い言葉だと。
当時大人たちは答えに詰まった。
上記意見は、”自分が犯罪に手を染める”場合については、理性のなかで殺人制止する思考的妥当線とは思うが…。
「自分が殺されないため。」
私的にはシンプルな本音ではないだろうか。
発言した中学生の論理の矛盾点の根幹には「自分が殺される」というシチュエーション、己が被害者になる意識とリアリティーが欠如しているように思える。
ただ単にその学生は自分本位な未熟な論理をさらけ出したに過ぎないのに…。
ルールと罰則を作っておけばとりあえず己が被害を被るリスクは減り、争いが争いを生む自体を避けられ安心して社会生活を送れるだろう。
と先駆者の考えが根本にあった気はするが、そのあたりの意味合いがどうもうするれ、慣習的、宗教的、哲学的じみた論議が繰り返されているような。
なんでこんなルールがあるのか?
なんで従わなくちゃならんのか?
最近若者が規則に疎いというのもそのあたりか。(その中に私も含まれるが…。)
規則を教える側がそ規則本来の意味を理解していない。
慣例的に守られていた規則が時代とのギャップを生んでいたとしても、疑問をはさむ大人はあまりにも少ない。
ルールのほぼ同義語に「常識」という言葉があるがこれもまた閉鎖的な環境での厄介なルールの一部であることが多い気がする。
そのルール、常識が一部の人間の利権のために作られたものなのか、
それとも大きな意味で円滑な社会活動を行うために作られたものなのか。
ルール、常識の意味、意義というものを再確認し本質を見極め次の世代に伝えてかなければならない時代に来ているように思うのである。
スポーツ、ゲームの中でのルールは、本質とリアリティーを追求し策定されたものであり、本来ルールとはそういうものであってほしいのだが…。
ま、そういう場合ばかりじゃないとは思うけど。
いや、ちょっと思ったので…。

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