チェチェン問題を調べてみる。

チェチェン共和国
9月2日におきたチェチェン独立派によるベスランの学校占拠事件。
9月7日現在の報道では300人以上が犠牲になる痛ましい事件となった。
犠牲者とそのご家族の方々へ深く哀悼の意を示し、ご冥福をお祈りいたします。
それにしても2002年10月のモスクワにおけるドゥブロフカ劇場占拠事件、8月の旅客機同時ハイジャック、そして今回の占拠事件。なぜ今こんなにもロシアでテロ事件が多発しているのであろうか?
自分の頭の中を整理するのためにも調べてみた。
上記テロにはチェチェン独立問題が大きく関係しているようだ。
チェチェン共和国は、ロシア連邦の南部連邦管区にあるイスラム教を信仰する日本の四国より小さな共和国。
18世紀、ロシア帝国に征服され、ロシア支配下に置かれたがチェチェン人の独立運動は続いていたようだ。
1987年ソ連時にゴルバチョフのペレストロイカ(政治改革)によりチェチェンは事実上の独立状態。150年ぶりにやっとチェチェン人(ザガイエフ第一書記)が、共産党によって指導者に任命された。
ソ連崩壊以降、1991年に当時のドゥダエフ共和国大統領が独立宣言をしたが、1994年ロシア軍はチェチェンへ分離独立を阻止するため大規模な侵攻を行い、10万人の死者をだした第一次チェチェン紛争を起こす。その後内戦化。
1999年4月6日、東ティモール、リキサ村。教会に避難していた2000人のチェチェン人をインドネシア軍・警察とその手先の民兵が虐殺、その同じころロシア軍は反露強硬派を討伐のためチェチェンへ侵攻し第二次チェチェン戦争が始まる。
チェチェン独立派は、イスラム原理主義勢力と結びつき過激化、モスクワ等でテロを頻発に起こすようになったようだ。
また、平和的解決を唱えたチェチェン側指導者も暗殺された。
ロシア側がチェチェンの独立運動を沈静化するために軍事を使った格好なのか。
そのほかチェチェンは北にロシア、南西にトルコ、南東にペルシャ(イラン)という、昔から強大だった3つの帝国の境界の地であり、長い間宗教問題や隣国の問題など記載はしていないが、事は思った以上に複雑だ。
なぜロシアは独立を許さないのであろうか?
日本でも北方領土問題などで一部ロシアとの緊張状態があるが、チェチェン問題もロシアの政権基盤と密接な関係があるのだろうか。ロシア連邦は連邦内の少数民族の分離独立を認めない歴史的背景もあるようだ。そのほかにも今のロシアには多くの問題を抱えている。
市民を巻き込んだテロ行為は許されるべきではないことだが、テロに走らざるを得なかった理由というものもそこにはあるのかもしれない。
近年同じような独立問題に中国の台湾独立問題やスペインのバスク独立問題(1998年沈静化)などがある。
どの独立問題にしても過去の独裁的な支配に端を発している。
現在の戦争、テロ事件の根底にはソマリア内戦やアメリカのテロ事件なども含みやはり民族間や宗教間の長い歴史の中に少しずつできた人間間のひずみのすえ起こった争い。いわば実社会の中におきる小さなイザコザや意見の対立の延長線上に、今の大きな争いがある。
日本もかつては同様な問題で争いや弾圧をしてきた歴史を持つ。
人間はみな平等であり自由であると思っているのは己だけの理想論であり、大きな流れを見れば、今だに理想とは程遠い世界に自分がいるのではないのかと感じる。
戦争やテロには賛成はできないが、大きな争いに至るまでの過程を考えると、そのような行為が完全に否定できない気がするし、またその過程を正確に理解し伝えていくことが本当に大切なことであると感じるのは私だけだろうか…。
※私の解釈が間違ってらごめんなさい。

Related Images:

カテゴリー: 評論などなど パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です